パソコミ誌『あ』の電脳版

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千字文コラム 《第一話 オミチョバチャンとマコちゃん》

第一話 オミチョバチャンとマコちゃん

 

高橋金蔵・シゲ夫妻の昭和十年代(1935~1945年)は波瀾万丈だった。だとしたら信夫年尾(シノブトシヲ)・民江夫妻の十年も波瀾八千丈位だったろう。立川市仲町(現曙町)の夜店通りの高橋家。昭和八年、嫁に行った民江に初孫が生まれた。ところが北区王子・滝野川の女中奉公先から孫・實(ミツル)を連れ三人で出奔家出を謀ったので勘当。十年、長女・啓子(ヨシコ)誕生、解決せず。意気消沈。十二年、人を介して信夫氏に「勘当を解く 、高橋を名乗ってくれ」と懇願。四人入籍、解決。次男・信(マコト)誕生。つまり、この年、私が生まれた。そして十五年、謎の婦人がわが家に同居。満州奉天(?)から従軍看護婦時代に銃弾を受け名誉の怪我で帰国。まだ片言の幼児言葉しか話せない僕は「オミチョバチャン」と呼んでいた。僕も皆からは「マコちゃん」と呼ばれ続けていた。十八年、戦争による強制疎開は自分らで家を壊し、曙小学校裏に運んで疎開。そして二十年、敗戦で終戦。戦後、時代は波乱が先に満ちていた。そして、いつの間にか彼女は台東区菊屋橋の小泉三十郎(仏事の細工大工)家に嫁し、久子(愛称チャコ)なる美女の義母になっていた。

時は過ぎ二十五年三月、母が「叔母さんから信の中学進学祝いに、叔父さんに作ってもらった本箱を送ったとさ」と私に伝えた。二日後、着便電話があり、早速兄に頼み、リヤカーで駅に取りに行った。本棚を見て、欣喜雀躍。しばらくして母が言った。「マコちゃん、とりあえずお光叔母さんにお礼の電話を入れなさい」「お光叔母さん?」「誰だ?」私に本棚を送ってくれる人?」そこで初めて気が付いた。天啓!そう言えば昨年末頃、中学の進学祝に何が欲しいと問われて本棚を所望したことを。「オミチョバチャンだ」お光叔母さとオミチョバチャンは同一人物なのだ。なぜでこんなことに気がつかなかったのだろう。あわてて電話口に飛んだ。電話にはチャコちゃんがでた。「あっ、信。お光叔母さん居る!」三人の笑声が聞こえる、そして「はい叔母さんっよ。私より先にお礼礼を言わなければならない人がいるでしょう。あなた、マコちゃんから電話」また、三人の笑い声。小泉家では、叔母さんの「私は信から赤ちゃん言葉でなく、まともに呼ばれるようになるのは何時のことだろうね」が話題だったそうである……。