パソコミ誌『あ』の電脳版

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千字文コラム《第二話 愛称で呼び合う家族》

ほんの少しの本当 八百の嘘

お待たせしました、第二話です。呆信

 

 

第二話 愛称で呼び合う家族

 

愛称の話を続けます。学区制が変更になり、通称官舎と呼ばれた曙町の最北端から染矢清一郎なる男が転校してきた。お互い勉強嫌いだが読書好きな二人が仲良くなって、初めて彼の家を訪ねてびっくりした。家族全員がまるで徒名で呼び合うように愛称で呼び合っているのだ。

まず父親、実はこの人だけが今思いだせない。仮に[フェッサー](プロフェッサーの頭捨て)とでもしておこう。当時は失業者で家に何時でも居り、時々庭で試験管をいじっていた。忘れた頃の仄聞によれば、某科学メーカーの研究所にスカウトされたと聞く。次に母親だが[カーマ]。後に大学の時の仏典の授業で習って解った。≪サンスクリット≫(古代インドアーリア語)で「母親」だ。誰がつけたかは解らないが偶然の一致かもしれない。夫婦で同じ失業者だがカ―マは失業者対策事業なる名目で競輪場に勤務し偉い役付だった。妹が[オッコン]。弟が[キンベェ]で、共に命名意図は解らない。凄じいのは彼の家を訪ねると、いつの間にか呼称がつけられていることだ。[ゲバ](姿形)さん、[トッちゃん](坊やが略)、ちょっと長いが(どん百姓・アーノルド)で[ファーマー]くん、ただ一人呼称が決まっていないと思った先輩がアクセントは「捥ぎる]の「モギル」で、陰で[モギ]ッちゃんと呼ばれ始めたが茂木が本名だった。

なお、彼,本人は[ウーワ]だが、自分への呼称を気にいっているらしく高校生以降の年賀状には[宇和山人]のサイン入りで奇妙な狂歌風の歌が詠まれていた。では、私にはどんな呼び名が待っていたのだろうか? [ノッポ]さん。単に背が高いだけではつまらないと不満をぶつけたら、フエッサー氏曰く「そんな意図はないよ」「いつもノォーと現われ知らぬ間にポォーと消えていたからノォーポォーさんだったよ」と嘯かれた。それよりも私が高校二年生になって本格的に俳句を始めて俳号を[呆信]と決めて各所で使いだした。これを文学少年キンベエ清亜がどこかで見つけてきて最初に、次いで宇和山人が戯れにでも俳号で呼びかけてくれた。それはそれとして、恥ずかしくも嬉しいことだった。

まだ俳号が通じる唯一の場所だったから。…ここらで千字文